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la souvenir

Posted on 2022.03.31

ある日

悶々としていた高校時代。進路を文系からいきなり美術系に。
新宿にあった短大、さらに彫金を学びたいと専門学校に進んだ。
専門学校を終えたら、沖縄に戻ってきなさいと言われていたから
慌てて仕事を探した。
新聞の就職欄を一週間見続けた。
ある日、紙面十二段目あたり、右端に掲載されていた情報がキラリと光った。
ここだ!と信じ、友人から紺色のスーツを借りて出かけた面接。
逃げ帰ろうかと思った。
モデルさんのような、デザイナーのような、派手な、個性的な、
そんな人たちがズラッと面接を待っている。
あまりに場違いなわたし。
それが面白かったのだろうか、真面目にみえたのか、沖縄出身だったからか、受かった。
デザイナー希望だったけど、とても言えなくて事務職へ。
そんな社会人の始まり。
小さなアクセサリー製造会社ながらファッション誌の常連。
「先生」とよばれるオーナー兼デザイナーはモデルとしても活躍中。
彼女がわたしを見て最初に掛けた言葉は
「あなたはジーパンに白いシャツでいいから」。
ずっとそうしていると今度は
「なんでも着れるようになりなさい!(馬鹿じゃないの!)」。
先輩達の冷ややかな目に耐えながら、
少しずつ自分なりのワードローブを増やしていく。
先生と会い見られるたびに何を言われるか緊張する日々。
あの目は今でもわたしの宝。
ある日、出入りの業者さんから転職の誘いを受ける。
華やかな代官山から御徒町へ。ジュエリーブランド立ち上げの補佐。
またもや目の前にエキゾティックな強い目を持った女性「先生」が現れる。
可愛がられているのか、しごかれているのか、
会社での業務を終えたら彼女のアトリエへ。
掃除に始まり、ご飯の準備、猫の世話。
朝方まで浴びる要求をこなす激しい日々。
島の子は苦とは全く思わず、都会で働いていることと
降り注ぐ刺激に快感さえ覚えていた。
ある日、「会社辞めてくれる?一緒にバリに行きましょう」と先生。
目をパチクリしながらも頷くわたし。
会社で辞表を受け取った上司もパチクリ。



始めての海外バリ島で、先生が請け負った服を作る仕事を手伝う。
英語とインドネシア語を話し、
ジュエリデザイナーと思っていた彼女が衣服を操る姿に驚く。
三週間の滞在を終え、出来上がった商品を
棺のように大きなバスケットに詰め込んだ。
服の間にお香やシルバーを混ぜ込みわたしの荷物とされた。
生まれて始めての運び屋体験。
何もわからない強さ。そんな感じの青春。

甥っ子の進学が自分のことを振り返るきっかけになった。
若い男子スタッフが辞職したいと聞き、これまた振り返るきっかけとなった。
誰しも皆に「ある日」が存在する。
右に行くのか左に行くか、選択のときがある。
深く迷うのか、すんなりいくのか、これもまたその人なり。
親や兄弟、ときには教師、上司と、選択の示唆を与える人がいて
子供なりに、生徒なりに、部下なりに、いろんな影響を受け取る。
人生いろいろの「ある日」にどれだけ自分なりを嗅ぎ分けるのか。
その時の選択がまちがっていたと感じたとしても
自分なりを許し、自分なりを慰め、認め、自分なりを生かしてくださいね、と願う。

復帰50周年という節目の年において
国も県も、行政も企業も、過去を振り返る。
その時の事実は変えることはできないし、悲観する必要もない。
多くの経験をもとに、対岸で燃える火を見て、
アナライズする時間もきっと有効。
しかしながら、もしも火の粉が舞い降りてきたときに
どれだけたくましく冷静に自分なりを保っていけるか
自問自答する時間が必要かもしれない。

南フランスに住む愛らしい「先生」から豊かな写真が届いた。
彼女からの影響は、美しいバトンになってわたしたちを導く。
歩くに美しい道である。