Posted on 2024.09.05
プラザハウス創業者チャールス・シー・ション(1924 ‒ 1977)
1947年に来沖。米軍基地内で特免業者としてレストランとサングウーテーラーを経営し、
翌年、1948年に同じく軍との特別契約で〝JO‒TO PAN〟のブランド名でションズベーカリーをオープンさせます。
また、1950年にはバヤリースカリフォルニアオレンジ沖縄をMr. D. E. McGuireと共同で設立。
その後、1954年7月に「プラザハウス」を開業。
1977年5月まで代表者として23年余あまり、社業の発展に尽くし、
今日の「プラザハウス」を築き、また沖縄観光の発展にも
多大の貢献を残しました。
ープラザハウス30周年記念パンフレット〝あの日、あの時。プラザハウスストーリー。〟より(1984年)ー
月苑飯店。
米軍基地内で数々のフードサービス事業を展開した彼が、
プラザハウス開業と同時に沖縄で初めてとなる本格的広東料理のレストランを誕生させました。
料理人は本国より招聘。 将校クラス御用達。
かつてあったバーカウンターは、復興する沖縄を取り巻く経済人で常に賑わっていたとか。
店内外に貼り込んだオレンジ色のタイルはイタリア製と教えられた。
壁紙やカーペットは何度か新しくしたものの、掛け軸や絵画、照明、調度品、
そして間取りは当時からほぼ変わらないのではないか。
ション氏の奥様が、椅子を引くタイミング、ナプキンのたたみ方、
料理のサーブの仕方を教えたと聞きます。
ここで働いた多くの沖縄の人たちは、小さな子供にも厳しくマナーを教えるアメリカ人に驚き、
レディーファーストのスマートな紳士に目を丸くし、まるで映画のシーンの中に引き込まれたように
艶やかで夢のような時間だった、と言い伝えます。
米外国人中心の時代から、本土観光客、
そして現在は、四世代を繋ぐ、多くの素敵な地元の皆様にご利用いただいている
月苑飯店。
仕事で沖縄に就くアジア人のよき相談者であり、復帰前、本土観光客を受け入れる時には率先して営業し、
ブランド品、香水、加えて沖縄土産品の品揃えにいち早く取り組み、
観光土産品と食事を併設する名所としてプラザハウスを成長させた創業者。
ション氏が70年を迎えたこの場所を見たら
どのように感じるのでしょうか。
1987年に入社した筆者。社歴の半分を知っているということに驚く。
東京でアパレルメーカーに勤めていたことから、
最初の所属はロージャース。
企画室立ち上げを任され、同時にバイイングを経験、
1997年に竣工したフェアモール設立事業で建築、内装業務を傍から学んだ。
911テロが発生した2001年、沖縄型免税店法成立、沖縄戻税承認店制度終了の影響を受けブランド商品の輸入が困難となり大きな事業転換が迫られた。
さらに県内にメガ商業施設が容赦なく台頭する中、
撤退していくテナント跡の手当てに奔走し、
直営店の再構築に時間と労力を注ぐ。
あまりに必死で過酷だったせいか、その時々のことはよく覚えてない。
いつもの席で、いつもの温かさで口にする月苑の「味」。
1954年最初に建てられたプラザハウスの元祖。
創業者の魂が宿る唯一無二のこの場所に改革の風が吹く。
70年目の夏、五十七年勤務した女将が店を去った。
チームワーク無くしては成り立たない飲食業。
後を継ぐものとしてのチャレンジが始まる。
荒々しい日々にここに座り、
丁寧に調理された「味」を口にして英気を養った恩を
忘れることなく次の時代へ繋ぐ新しい風を、
美味しい風を届けていきたい。
少しばかりご迷惑をおかけする時期があると察しますが
これからも月苑飯店をどうぞよろしくお願い申し上げます。