Posted on 2023.05.31
1986年、ヤン・クーン・ユ氏はプラザハウスの経営権を譲り
沖縄を去ることを決めた。
A&W沖縄を創業した父がプラザハウス四代目の社主となった。
コザで生まれ育ち「ロージャース」の香りに憧れていた私は
そのセンセーショナルなニュースを東京で聞いた。
1980年から通った東京の勤務先は美しい代官山の街にあり
刺激的な人に囲まれ、過酷な業務に追われながらも、
帰郷する気持ちは微塵もなかった。
どんなふうに言われたのか思い出すことはできないが
1987年、私は比較的素直に沖縄に戻り
ロージャース店舗の片隅にあったオフィスの席に着いた。
プラザハウス創業から32年目、父55歳の秋。
副社長デヴィッドさんが色々教えてくれた。
入社から一週間後、香港にいた。
香港〜中国全土の免税店を司る経営者との出会い。
次々と目新しいヨーロッパのブランドをオーダーするバイヤーの姿。
高層ビルとフェリー、紹興酒と高級烏龍茶、飲茶に酔う時間。
海外がどんどん近くなり、東京が少しずつ遠くなる。
なんちゃって英語に身振り手振り、笑って誤魔化す術が上がる。
プラザハウス創業から43年目、父66歳の春。
1954年に建てられた平屋モールの横に
地下2階地上3階のフェアモールを増築。
何かを見据え、何かを夢見、大きな投資を決断しインフラを整えた。
当時の父の年齢と今の私が重なりつつある。
そう気づくとたまげる。なんというガッツの持ち主なのか。
ふわふわと綺麗なものを見て喜んでいた私を
青図面とスケール、作業着とヘルメットを持つ男たちの中へ放り込んだ。
デヴィッドさんは遠くの方で私の様子を見ては呆れ
近くに来ては、あなたのお父さんの考えが理解できないとこぼした。
1997年4月23日、プレオープン祭典の挨拶は曇り空。
放たれた風船が舞う空を見上げ、なにやら大変だなあと拳を握った。
予感は見事的中、ジェットコースターのような毎日。
整った建物はすまし顔しつつ、中身はクルクルと変化。
ハイヒールから運動靴(あえてそう言いましょう!)
ネクタイ背広は箪笥の番、冠婚葬祭かりゆしウェア
百貨店から量販店、専門店からコンビニ、そしてEコマース。
二十一世紀になり信じられない事件や自然現象が多発して、
多様性や個の重視、「モノ」より「コト」、
「所有」より「共有」と価値観もクルクル。
団塊、新人類、団塊ジュニア、デジタルパイオニア、デジタルネイティヴと
生まれた年代でまるで異なる人種のような会話さえ!
頭の中に引き出しいっぱい作って整理整頓しないとクルクルパー。
きっと世界は広いから、動けば何かが見つかるよ!と
バイヤー引き連れあちらこちら
20数年があっと言う間に過ぎた。
新元号「令和」施行
沖縄観光入域観光客1000万人突破
プラザハウス創業から65年目、父88歳。
喧嘩相手だった母が先に旅立ったせいか少しずつ細くなる。
それでも気丈に彼が造り上げた一つ一つを見回りにやってくる。
幼い頃の自分は弱体だったと彼は語るが、入院などしたこともない。
変化するものは山ほどあるけど
変化しないものは彼のガッツだろうか。
プラザハウス創業から69年目、父91歳梅雨入りの日。
上京する航空券に記された自分の年齢を見て驚くやんちゃな笑顔。
もうすぐ父の日。その笑顔をいつまでも。