Posted on 2024.11.26
プラザハウスが創業40周年を迎えた1994年、
先代は創業記念事業として建物の増床計画を企てた。
そのころのプラザハウスは、観光戻税承認店制度のもと
年間40万人の観光客を受け入れていた。
香水、化粧品、ウイスキー、ハワイアンホストチョコレート、
ブランドのバッグやアクセサリー、
そしてほぼ全ての沖縄のお土産、工芸品を揃え
たプラザハウス本店(現ロージャースアレーナ)は
朝早くから旅行会社の添乗員に連れられた団体客で賑わい、
那覇空港はオレンジ色のプラザハウスの
ショッピングバッグを持ったお客様で溢れていた。
入社して間もないわたしはロージャースに配置され、
企画室長をいう名刺を手に、
新聞広告やウインドウディスプレイ、
販売促進のような仕事に携わっていた。
ある日、当時の副社長に呼ばれる。
君のお父さんの考えについていくことが難しい。君がやれ。
まあそんな内容のことを告げられ、
名刺の肩書きが開発準備室長と変化した。
紆余曲折を経て、1997年4月、
地上3階地下2階のフェアモールが誕生した。
あれからすでに27年の歳月が流れ、
その時の先代の年齢が今の自分と一緒であることに慄く。
久しぶりに当時の資料を引っ張り出した。
そこに記されていた一文である。
ワン&オンリー
培った歴史と豊かな個性が創造する
“ここにしかない、唯一の”商業施設の開発です。
フェアモールのお客様は“生活を愛し、
夢のあるライフシーンを描く人々”と考えます。
昔、買い物はウキウキと楽しく心躍る行為でした。
そこには驚きや発見があり、
弾む会話があり、
素敵なおすすめがあり、
時にはささやかな冒険さえも試みさせてくれました。
お客様同士で心きいた礼儀があり、
それはそれはマシュマロのような居心地の良さがありました。
日本の経済の成長は物質の豊かさを提供し、
バブルの時代を経た今、流通や店舗形態の変動、
商品の低価格化、小品種大量販売、サービスの合理化と
目まぐるしく変革しています。
私たちの住むこの沖縄も大型店舗の出店が相次ぎ
消費者の選択肢はかなりの勢いで広範囲になったように思われます。
新たなプラザハウスショッピングセンターの開発は
商業を提供する個と、利用する個の物質のみの交流だけでなく、
人とひと、時間や香り、空気や文化が交流するひととき・・・
あのマシュマロのような居心地の良さの再生・・・
ロージャースフェアモールの誕生です。
目眩く嵐のような商環境の中で、
共にオープンを祝った店舗は数少ない。
去るもの、加わるもの。店舗もそうであり、
働く人たちやそこに生まれるサービス、並ぶ品々、
時代の流れに相乗するよう小さく、大きく、
新陳代謝が繰り返される。
ちょうど一年前のクリスマス。
フェアモール誕生と同じ年に生まれたスタッフが引き付けたミラクルは
前ページで紹介されているシャーベック家との再会へ結びついた。
年が明けた春、写真が残っておらず名前のみを知っていた
二代目社長のジミー・チー氏からまさかの連絡があり、
彼は約50年ぶりに沖縄の地を踏んだ。
大きくなったプラザハウスを見上げ喜び、古い写真を指差しながら
私たちが知ることのないあの頃をたくさん語ってくれた。
そして、全てがどんどん良くなっていくと言葉を残してくれた。
ウクライナから届いた新感覚の自ら作る3Dオブジェ。
モンゴルで生まれるカシミヤの小さなスカーフや手袋。
ヨーロッパのFSC認定素材のみを使用した美しい線画のレターセットはオランダから。
ジャイプールで選んだブロックプリントのパジャマはもうすぐ届く。
インピラレッサ・ヴェネチアで学びバリ島で創るアンナのヒーリングジュエリー。
Nuccaはコルシカ島ファイブスターホテル、カラロッサスパで用いられる
最高級のオーガニックコスメ。
20世紀の叡智を記録するASSOLINEの書籍。
日本一のパイプ職人と共に挑んだ美しく強い極上のステッキ。
ハイブランドが残したレザーを圧縮しアップサイクルしたモダンなパリジャンのアクセサリー。
フランス国家勲章レジオンドヌール賞を受賞したデザイナーが編み上げるニット。
ぬくもりのクリスマスオーナメントは平和を祈るエストニアのラブ。
旅を重ね、冒険心を隠しながら運んできた美しいものたち。
創る人と出会い、創られる場所を知り、それぞれの浪漫が宿る一つひとつ。
70回目のクリスマス、未来へ感謝。