Well-Beingをクリエイトする
ハピネスなRoger’sの仲間たち
娘 ヘレンさんと共に
プラザハウスを設計した
建築家 ヨルン・シャーベックの妻
宮國 由紀江
1932年宮古島生まれ93歳。1957年、テネシー州ジョージ・ピーボディ大学入学。戦後、沖縄初の米留学女性。帰国後は県内大学で英語教師、沖縄在メリーランド大学で日本語講師を務めた。その頃、日本語を学ぶ建築家ヨルン・シャーベックと出会い、結婚。1965年、長女が誕生。沖縄復帰に伴い一家はデンマークへ。新天地では日本語を教えながら日本や沖縄に関する書籍(「沖縄歴史と年中行事」「20世紀日本女性小説家辞典」等)を英語で刊行。現在デンマーク、コペンハーゲン在住。娘ヘレンは在独デンマーク大使館勤務。孫アレックスは2019年に東京大学留学。三人はプラザハウス70周年を祝してプラザハウスを訪問。
衣装:Roger’s
photographer : TAKAHASHI AKIRA (Picser)
プラザハウス 月苑飯店前にて
ヨルン氏と娘ヘレンさん
建築家 ヨルン・シャーベック氏
1954年に建てられたプラザハウスは、建築家ヨルン・シャーベックの革新的なデザインと地元文化への深い敬意が息づいている。ヨルンは1922年、デンマークのコペンハーゲンで生まれた。彼の父親と祖父は医師だったが、彼の情熱は建築と絵を描くことに向かっていた。第二次世界大戦中、ナチスに抵抗するデンマークのレジスタンス運動に参加し、勇敢に戦った。戦後、建築家としての才能を活かして、米軍の日本再建プロジェクトに参加。1952年に東京へ渡ったヨルンは、その後すぐに沖縄にやってきた。彼が沖縄で手掛けた最初の大きなプロジェクトの一つはアメリカン銀行の支店の設計だった。
しかし、彼の最も重要な任務は、実業家ロジャー・C・ウィリアムズから依頼を受けて設計したプラザハウスの建築だった。プラザハウスのデザインは、アメリカのミッドセンチュリースタイルと沖縄の伝統が融合。広い軒は日差しを和らげる「アマハジ」を彷彿とさせる大きなオーバーハング、またプラザハウスのアーケードは、一般的なアメリカのストリップモールの直線的な配置とは異なり緩やかなカーブを描いている。沖縄での生活を通じて、ヨルンは地元の人々と深く関わっていった。サチコという若い女性から日本語を学び始め、彼女はやがて人生のパートナーへと変わった。二人は1961年に結婚し、1965年には娘のヘレンを迎えた。
1970年代の初め、沖縄の日本復帰に合わせて、ヨルンと家族はデンマークに戻る。デンマークでは、ヘルレフ病院やサウジアラビアのスポーツセンターの設計に携わるなど、建築家としてのキャリアを続けた。その後、1992年に亡くなったが、彼の建築作品は今でも多くの人々に影響を与えている。ヨルン・シャーベックのプラザハウスへの貢献は、モダンな要素と地域文化の見事な融合。沖縄のコミュニティに深く根付き、時を超えて愛されるランドマークとなった。プラザハウスの成長と変遷を振り返る中で、私たちはヨルン・シャーベックの功績を改めて心から讃えたい。
孫 アレックスさん
表記の価格は全て消費税込みの総額表示となっています。